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リア充の相対はネト充ではない。
「何事に対しても充実感を得られない人々」ではないか。
「リア充論争」より
って。なんかおおおおおって思った。
私はリア充の相対はイメ充と思っていたが。
(リアル充実/イメージ充実)
そうだね、リア充っていうのは現実界において充実感を得られる人たちだ、きっと。
でもそれってかなり重要なことなのじゃない?
リア充という言葉が急によい響きとなりえるなぁ。
違うように考えれば、リア充って、簡単に何にでも充実しちゃう人っても捉えられるよね。
まあ、それだと充実ってよりも満足って言葉の方が近いのかもしれない。
でもリア満という響きはいやだ。響きがね。
まぁ、それだけです。本当にそれだけ。
最近あまり遊んでなくって、考えごとをたくさんしたり、バイトしたり、寝すぎたり、制作したり、お腹空いたり、と、文字通りマイペースで毎日生活していて、
私から程遠い「リア充」について考えていたけれど、萩尾的にまとめると、
結局のところ、「モノは捉えかた次第」なのかなと思いました。
(だいぶざっくりまとめ)
なんていうか…あなたがそれでいいと思っているならそれでいいんじゃない?
みたいな。
………なんだ!萩尾は萩尾的に言うとリア充じゃん!!!^^
ってことかもね。
今日のつぶやきおしまい。
今おもしろいorうまいこと言った!?みたいなつぶやきができる人になりたいです。
そして私は人と会話するよりつぶやきが多い…!
?
あたりまえか。
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知ることと理解することは違うよね。っていう話を誰かがしていたんだけど、
そのことについて考えた。
そのときに、その人は確か、
「ハサミが引き出しにあることを知っていても、どうやって使うかがわからなければ意味ない。
つまり、ハサミはものを切るための道具で、
例えば人にものを切るように指示する時にどうやって説明するか。
もしかすると、カッターの方がやりやすいかもしれない。」
と言っていた。
ということは、ものを理解する為には2クッションあって、
そこに、まず「知る」という過程があるということ。
でもやっぱり、ただ「知る」だけに留まっていることってよくあるなぁって感じる。
知ることは、一過性のものでも良いかもしれないけれど、
理解となると、知ったものが要素だとして、その知ったものの側面を見て、
例えばそれに対して疑問が出てきたり、比較対象が必要となって、その構成要素を考えたり。
知ることは楽しいのに、理解することは恐ろしい。
恐ろしいのは、「理解」自体をして、「知った」事実は多いのに、
「知るべき」事実も同時に増えるから。
それはつまり、理解は常に誤解の総体に過ぎないということ。
色々知っていると思っている物事の裏には、知らないことが同じくらい潜んでいる。
それはささやかな世界認識の方法のひとつでもある。
「完全な理解はありえないよ」ってなんかの小説か漫画で、ある男の子が好きな女の子に言っていたのを思い出しました。
そうなんだけど、人との関わりにおいては、理解の深度を計るってのは難しいものだよね。
小説か漫画かで思い出したけれど、漫画だったら絵で思い出すし、
小説だったら雰囲気で思い出すんだけれど、わかんなくなった。
それだけよっぽど強烈にこの言葉だけが頭に残っていて。
そのことについて考えた。
そのときに、その人は確か、
「ハサミが引き出しにあることを知っていても、どうやって使うかがわからなければ意味ない。
つまり、ハサミはものを切るための道具で、
例えば人にものを切るように指示する時にどうやって説明するか。
もしかすると、カッターの方がやりやすいかもしれない。」
と言っていた。
ということは、ものを理解する為には2クッションあって、
そこに、まず「知る」という過程があるということ。
でもやっぱり、ただ「知る」だけに留まっていることってよくあるなぁって感じる。
知ることは、一過性のものでも良いかもしれないけれど、
理解となると、知ったものが要素だとして、その知ったものの側面を見て、
例えばそれに対して疑問が出てきたり、比較対象が必要となって、その構成要素を考えたり。
知ることは楽しいのに、理解することは恐ろしい。
恐ろしいのは、「理解」自体をして、「知った」事実は多いのに、
「知るべき」事実も同時に増えるから。
それはつまり、理解は常に誤解の総体に過ぎないということ。
色々知っていると思っている物事の裏には、知らないことが同じくらい潜んでいる。
それはささやかな世界認識の方法のひとつでもある。
「完全な理解はありえないよ」ってなんかの小説か漫画で、ある男の子が好きな女の子に言っていたのを思い出しました。
そうなんだけど、人との関わりにおいては、理解の深度を計るってのは難しいものだよね。
小説か漫画かで思い出したけれど、漫画だったら絵で思い出すし、
小説だったら雰囲気で思い出すんだけれど、わかんなくなった。
それだけよっぽど強烈にこの言葉だけが頭に残っていて。
大学をとうとう卒業しました。
4年間はやすぎた。
絶対むだに過ごした時間もあった。
悔やんでも悔やみきれないです。
で、就職しないのに、上京です。
ちなみに大学は広島でした。
作家になるため、イラストレーターとしてのお仕事が欲しいため東京に出るのですが、
自信と希望と不安と絶望すべてを今持ち合わせています。
よく考えるのが、イラストレーターというお仕事についてなんですが、
まだまだ駆け出しで名も無い私は存在意味を見失いそうになります。
よく、私がいなくても…的なマイナス思考に陥ります。
だめだめ。
そもそも自分のやりたいことが社会に職業として存在するわけないんだから。
そういうことで存在意味を見失うのは当たり前で、
でもそうして存在意味を見つけるのが当たり前、きっと。
でででそこでまた、イラストレーション単体で考えてみるのですが。
イラストレーションは、装飾であり、文字情報の補助であり、情報と概念を視覚化したもの。
そう考えると、 イラストレーション<文字 という方程式ができあがる。
これだけ見るとじゃぁジャーナリストの方がが偉いの?とかなるけど、
絵一枚で一つのあるメッセージを、たくさんの言葉を、長い物語を、その一瞬を描いて伝えることができる人もいるし、写真という風景を切り取る手法もあるのです。
つまり、前者だと商用のイラストレーションで、後者だとアートとしてのイラストレーションってことで。さくひん。
すっごい当たり前のことなんだけど、これって忘てしまうんだよねきっと、
そのまま進んだらまさに、やっているのに結果がでているのに存在する意味がわからないって状態になってしまうね。
卒業とフリーターの狭間でついそんなことを考えていました。
ちなみに卒業とフリーターの狭間はニートです。
意欲はあるんだけど立場的に…ね。
現段階ニート、次段階フリーターなので、
これからこのブログの更新が激しくなることでしょう。かなしくも。
萩尾ファン、盛大によろこんでください。
言ってて今年1番かなしくなりました。
*Profile*
HN:
萩尾 心
年齢:
36
性別:
女性
誕生日:
1987/09/20
職業:
イラストレーター
自己紹介:
イラストレーション・アニメーション・絵本などの制作をしております。
森ガールめざす、ひきこもりガールです。
チェコのアニメや絵本がすきです。
画家だとクリムト、ルネ・マグリットがすきです。
あと、鈴カステラとバウムクーヘンとチョコレートと刺身が好きです。
何かございましたら、下記のメールアドレスまでお願いします。
*Mail*
cokolada92@gmail.com
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